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マサイの牛乳と血東アフリカの牛とともにある食

ケニア南部からタンザニア北部の草原で牛を飼って暮らすマサイの人々は、牛の乳を主な食べものとし、乾季には生きた牛からとった血を乳にまぜてきました。その食と、トウモロコシの粉や紅茶が加わった今の暮らしを紹介します。

ケニア南部〜タンザニア北部の草原20世紀の調査の記録(牧畜の暮らしはそれ以前から)主な食べものたんぱく質今も続いている

概要

マサイの人々は、ケニア南部からタンザニア北部にかけての草原で、ウシ・ヤギ・ヒツジを飼って暮らしてきた牧畜民です。なかでもウシは、暮らしと文化の中心にあり、結婚のときに花婿の側から贈られるのもウシです。ケニアの2019年の国勢調査では、マサイの人々は約119万人とされています。

食べものの中心は、ウシの乳でした。乳が足りなくなる乾季には、生きたウシの首から血をとって乳にまぜ、祝いの日にはウシをつぶして肉を分け合ってきました。この図鑑の切り口でいえば、たんぱく質と脂肪の多くを、家畜の乳・血・肉からとってきた暮らしです。

歴史

マサイの人々の村は、ほぼ半ば定住で、3〜4年ごとに場所を移すとされます。乾季には遠くの水場までウシを連れて行き、一時的なキャンプを設けます。乳しぼりは女性の仕事で、男性は家畜を追う役目を担ってきました。

マサイの食べものは、20世紀の半ばから栄養学の調査の対象になりました。1971年に発表された調査では、乳が主食で、男性は1日に3〜5Lの乳を飲んでいたと報告されています。1年のうち4〜5か月ほどの乾季には乳が減り、新しい血を乳にまぜて食べました。1964年の調査は、ふだんの食事に塩を加えていなかったと記しています。

1980年代の女性と子どもの調査では、妊娠や授乳をしていない女性は、1日のエネルギーの52%を乳製品からとっていました。乳が足りない時期には、買ったトウモロコシの粉がその代わりになっていたといいます。果物や野菜、豆はあまり食べられていませんでした。

血は、ウシを殺さずにとります。男性が首の静脈に矢を射て、流れ出た血をひょうたんの器などで受けます。正しく行えば、ウシに長く残る傷にはならないと紹介されています。

よくある1食の風景

1970年前後の、ケニア南部の牧畜の村を思い浮かべてみます。村は、とげのある木の枝で囲まれ、その内側に8〜15軒ほどの家が建ちます。家は小枝や草を組み、ウシのふんをまぜた土で塗り固めたものです。夜のあいだ、家畜は囲いの中で過ごします。

朝、女性がウシの乳をしぼります。料理は、ひょうたんの器に入った乳です。乳は1日の主な食事で、ときにはそれだけが1日の食事になったと紹介されています。量は、男性で1日に3〜5Lという記録があります。乾季で乳が少ないときは、ここに血がまざります。

どこでだれと乳を飲むかをくわしく書いた記録は見つかりませんでしたが、肉の食べ方には決まりが伝えられています。肉がふるまわれるのは、祭りや祝いの日です。雄ウシがつぶされ、肉は捨てるところなく分けられます。分ける順番は、まず長老、次に若い戦士、そのあとに女性と子どもだと紹介されています。

今の暮らしの中で

1960〜70年代には、政府の支援する牧場の計画などをきっかけに、食べものが変わり始めました。2000年に行われたケニア南部の調査では、ウシの乳は今も多くの家で主食でしたが、紅茶の葉・砂糖・塩・トウモロコシの粉・米・豆などの買う食べものも記録されています。

暮らし方も変わっています。学校や病院、仕事、水に近づくため、町の近くや水場のまわりに定住する家が増えました。同じ調査では、畑の収入がある家の割合は、地域によって約20%から約64%まででした。牧畜を続けながら、農業や賃金の仕事、商売を組み合わせる暮らしが広がっています。

よくある誤解・豆知識

血ばかり飲んでいるわけではありません。 中心は乳で、血は乾季や祝いの場など、時と場合によって加わるものです。今はトウモロコシの粉や紅茶など、買った食べものも食卓に並びます。

「マサイ族」と呼ばれることが多いですが、 百科事典では「マサイ」と書かれています。首都ナイロビの名は、マサイの言葉に由来するとされます。

ウシ一頭一頭に模様をつけます。 持ち主は、ウシを美しく見せるための長い曲線の模様をつけ、ウシをたたえる歌も歌われてきたと紹介されています。

参考文献

最終更新:2026-10-17

このページは、世界の食の習わしを、歴史と文化として紹介するものです。健康や栄養、食事の取り方についての助言ではありません。食事の内容は、年齢や体の状態に合わせて、医師や管理栄養士に相談してください。

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