世界じょうしき図鑑

中国の鳥占い鳥の声に吉凶を聞く

鳥の鳴き声やふだんと違うふるまいに、吉凶のしるしを見た古代中国の考え方。『書経』や『春秋左氏伝』の記録と、『隋書』に書名だけが残る「鳥情」の占いを紹介します。

発祥:古代中国春秋時代(紀元前6世紀ごろ)の記録〜偶然のしるしを読む解説のみ

概要

古代の中国でも、鳥の鳴き声やふるまいに吉凶のしるしを見る考え方がありました。日本語では、このような占いを「鳥占(とりうら)」と呼びます。辞書では、鳥の鳴き声、止まった枝の方向、飛ぶ方角などで吉凶を占うものと説明されています。

ただし、古代中国の占いの中心は、亀の甲羅や牛の骨を使う甲骨占いや、易でした。鳥の占いについては、古い書物にいくつかの話や書名が残っている程度です。具体的なやり方は、よくわかっていません。このページでは、記録から確かめられることを中心に紹介します。

由来と歴史

『書経』のキジ

儒教の経典『書経(尚書)』の「高宗肜日(こうそうゆうじつ)」という篇は、殷の王の祭りの日にキジが鳴いた、という一文から始まります。家臣の祖己(そき)はこれをきっかけに、王に行いを正すよう説きました。ふだんと違う鳥のふるまいが、天からの戒めのように受け止められたと読めます。ただし、この篇がいつ書かれたのかについては議論があります。

『春秋左氏伝』の鳥

歴史書『春秋左氏伝』にも、鳥をしるしとして読む話があります。

紀元前555年、晋の軍が斉の軍と戦ったときのことです。斉の軍は夜のうちに退きました。晋の楽師の師曠(しこう)は、晋の君主に「鳥やカラスの声が楽しげです。斉の軍は逃げたのでしょう」と告げました。人のいなくなった陣地に、鳥が集まって鳴いていたと解釈されています。

紀元前517年には、魯の国にハッカチョウ(鴝鵒)がやってきて巣を作りました。それまで記録になかった出来事です。家臣の師己(しき)は、昔の童謡に、ハッカチョウが来ると君主が国を出て外をさまようという歌があったと語りました。実際にこの年、魯の昭公は国を追われ、のちに乾侯(けんこう)という土地で暮らすことになります。

「風角」と「鳥情」

漢の時代には、風の吹き方で吉凶を占う「風角(ふうかく)」が知られていました。これと並んで、「鳥情(ちょうじょう)」という言葉も使われます。「鳥のようす」という意味で、鳥の声や動きから吉凶を読む術を指したと考えられています。

7世紀に編まれた歴史書『隋書』の図書目録「経籍志」には、『風角鳥情』『鳥情占』『鳥情書』『占鳥情』といった書名が並んでいます。風の占いと鳥の占いが、ひとまとまりの知識として扱われていたことがわかります。ただし、これらの本は今に伝わっておらず、中身はほとんどわかりません。

仕組み・やり方

まとまった手引きが残っていないので、決まった手順はわかりません。上の記録からは、次のような点がうかがえます。

  • ふだんと違う時や場所に鳥が現れること(祭りの日のキジ、魯に来たハッカチョウ)
  • 鳥の声の調子(師曠が聞いた「楽しげな」声)
  • 風の占いと組み合わせて読むこと(「風角鳥情」という書名)

ローマの鳥占いのように、空に区画を決めて観察する手順があったのかどうかは、記録からはわかりません。また、メソポタミアの鳥占いのように、大きな前兆集が残っているわけでもありません。

文化の中での位置づけ

漢字に残る鳥占い?

漢字学者の白川静は、「隹(とり)」を含む「唯」「雖」などの字の成り立ちを、古い鳥占いの習俗と結びつけて説明しました。張莉の論文(2012年)は、この白川の説を手がかりに、「鳥」「隹」「鳴」「鳳」「風」などの字と鳥占いとの関わりを論じています。ただし、こうした字源の説明は一つの学説で、すべての研究者が同じ考えではありません。

同じ論文は、鳥を使う占いが中国から日本へ伝わったとも論じています。日本でも、鳥の鳴き声や飛ぶ方角で吉凶を見る「鳥占」が知られています。

よくある誤解・豆知識

「鳥占い」と聞くと、ローマの鳥占いを思い浮かべる人も多いでしょう。中国の記録は、それに比べるとずっと断片的です。「古代中国の鳥占いはこういう手順だった」と言い切る説明を見かけたら、どの書物にもとづくのか確かめてみるとよいでしょう。

夢を手がかりにする占いも、古代の各地で行われました。エジプトの夢占いやメソポタミアの夢占いとあわせて読むと、人々がさまざまなしるしに意味を求めてきたことがわかります。

参考文献

最終更新:2026-10-10

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