世界じょうしき図鑑

甲骨占いこうこつうらない亀の甲羅のひびを読む

亀の甲羅や牛の肩甲骨に熱を加え、できたひび割れで吉凶を判断した古代中国・殷王朝の占い。結果を刻んだ「甲骨文字」は、現在の漢字の祖先にあたります。

発祥:中国(殷)紀元前13〜11世紀ごろ儀礼解説のみ

概要

甲骨占いは、古代中国の殷(いん、商とも呼ばれます)王朝で行われた占いです。亀の腹側の甲羅や、牛の肩甲骨に熱を加えます。すると表面にひび割れが入るので、その形から神や祖先の答えを読み取りました。

占いのあとには、何を占ったのか、どんな結果だったのかが骨に刻まれました。この文字が「甲骨文字(こうこつもじ)」です。まとまった量が残るものとしては最も古い漢字とされ、今の漢字の祖先にあたります。

由来と歴史

文字が刻まれた甲骨は、主に殷の後期のものです。王でいえば武丁(ぶてい)から最後の王・帝辛(ていしん、紂王)までの時代にあたります。おおよそ紀元前13世紀ごろから前11世紀ごろとされますが、年代の推定には学説によって幅があります。

骨を焼いて占うこと自体は、殷よりも古くから行われていました。文字のない卜骨(ぼっこつ)は、それ以前の遺跡からも見つかっています。殷の王たちは、この占いを国の大事を決める重要な儀式にしました。占った内容は、祖先や神へのお祭り、戦争、狩り、天気、収穫、病気、出産など、とても幅広いものでした。

殷のあとの周の人々も甲骨占いを行いました。陝西省の周原(しゅうげん)では1977年以降、文字のある周の甲骨が見つかっています。

仕組み・やり方

甲骨占いの手順は、出土した甲骨の研究から次のように考えられています。

まず甲羅や骨をきれいに整え、裏側に「鑽(さん)」「鑿(さく)」と呼ばれる小さなくぼみを彫ります。そのくぼみに熱した木などを押し当てると、表側に「卜」の字のような形のひびが走ります。このひびを「兆(ちょう)」と呼びました。「卜」や「兆」という漢字は、このひびの形からできたといわれています。

占いを担当した人々は、研究者の間で「貞人(ていじん)」と呼ばれています。ひびを見て最終的に判断を下すのは王であることも多かったようです。

刻まれた文章には、決まった型がよく見られます。

  • 前辞(ぜんじ):占った日付と、担当した貞人の名前
  • 命辞(めいじ):何を問うたか
  • 占辞(せんじ):王がひびを見てどう判断したか
  • 験辞(けんじ):実際にどうなったか

すべてがそろう例ばかりではありません。それでも「当たったかどうか」まで書き残した記録があることは、とても興味深い点です。

発見と研究

甲骨は長い間、地中に眠っていました。19世紀の終わりには「竜骨(りゅうこつ)」という漢方薬の材料として売られていたといわれます。1899年ごろ、学者の王懿栄(おういえい)らがそこに古い文字が刻まれていることに気づいた、という話がよく知られています。ただし、発見のいきさつの細部には異なる伝え方もあります。

その後、羅振玉(らしんぎょく)や王国維(おうこくい)らの研究によって、これが殷の王家の占いの記録だとわかりました。1928年からは河南省安陽市の殷墟(いんきょ)で、本格的な発掘調査が始まります。

これまでに見つかった甲骨は10万片を超え、15万片前後とする推計もあります。字の種類は数千にのぼりますが、確実に読めるのはその一部です。2017年には、中国の甲骨文がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。

文化の中での位置づけ

甲骨文字の記録は、殷の王の系図、祭り、暦、戦争などを知るための一級の資料です。占いの記録が、そのまま古代の歴史書の役割を果たしているわけです。

骨や甲羅を焼く占いは、日本にも伝わりました。日本では古くから鹿の骨を焼く「太占」があり、のちに亀の甲羅を使う亀卜が朝廷で行われるようになりました。

よくある誤解・豆知識

殷の人々が占いの結果をすべて信じて行動したかどうかは、記録だけではわかりません。王の判断や政治的な意図が反映されていた可能性も、研究者によって指摘されています。

また、甲骨文字は絵のような形が多いため、「絵文字」と思われがちです。実際には、言葉を書き表すための整った文字の体系をすでにもっていたと考えられています。同じ中国生まれで今も使われている占いには「易」があります。

参考文献

最終更新:2026-10-08

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