寺子屋江戸の町と村の手習いの場
江戸時代、町や村の子どもが通い、師匠から読み書きやそろばんを習った手習いの場。幕末には全国に1万5000以上あったといわれます。入門の日、1日の流れ、教科書の「往来物」まで、寺子屋の学びの風景を紹介します。
日本各地(江戸・上方の町や農村)江戸時代(18世紀から広まる)〜明治初め学校昔の学び
概要
寺子屋は、江戸時代に庶民の子どもが通い、文字の読み書きを習った場所です。所によっては、そろばんも教えました。教える人は「手習師匠」と呼ばれました。
呼び名は土地によって違います。上方(京都・大坂)では「寺子屋」、江戸では「手習所」「筆学所」などと呼ばれました。今の研究では「手習塾」とも呼ばれます。幕末には、全国に1万5000以上あったといわれます。
名前に「寺」とつきますが、多くは師匠の家を使った小さなものでした。教える場であると同時に、師匠の暮らしの場でもあったのです。
歴史
寺子屋の源流は、中世の寺で行われていた、読み書きの教育にあるとされます。江戸時代の初めごろまでは、寺で僧が教えることが多かったようです。学ぶ子どもを「寺子」と呼ぶ言葉が残り、「寺子屋」という名になったと説明されています。
江戸時代、暮らしや商いで文字を使う場面が増えていきました。京都で始まった出版の仕事が江戸にも広がり、多くの人が印刷された本に触れるようになりました。
享保年間(1716〜1736年)を過ぎると、教える人の顔ぶれが広がります。神官、医者、村役人、浪人、農民、文字に通じた女性なども師匠になりました。明治の初めに東京府が行った調査では、師匠の大半は江戸の町人でした。多くは男性でしたが、江戸などの町には女性の師匠もいました。
寺子屋は江戸時代を通じてあったと思われがちですが、記録に残るものの多くは、幕末から明治にかけて開かれています。1872年(明治5年)に学制が出されたころから寺子屋は急に減り、明治初めの小学校のもとになりました。寺子屋の師匠が、そのまま新しい学校の先生になった例も知られています。
学びの風景
入門の日
入門の年は決まっていませんでした。尾張(今の愛知県西部)の例では、ふつう7〜8歳、遅くとも9歳の春先、初午の日に入門するのが習わしでした。百科事典は、6〜7歳から12〜13歳ごろの男女が通ったと説明しています。
入門の日、子どもは羽織袴の親に連れられて師匠の家を訪ね、「束脩」と呼ばれる入門のお礼を納めました。お金のほか、作物で納める家もありました。先輩たちには菓子や赤飯を配ります。自分の机も持っていきました。この机は「天神机」とも呼ばれました。
1日の流れ
尾張の例では、朝8時ごろ(冬は9時ごろ)に始まり、午後2〜3時ごろに終わりました。拍子木の音を合図に部屋に入ったり、線香が燃える時間で区切ったりする寺子屋もありました。
朝、子どもは前の日に部屋の隅へ片づけた自分の机を引き出し、墨をすって準備をします。師匠は一人一人に手本を書き、子どもはそれを一文字ずつまねて書きます。師匠は部屋を見回って声をかけ、数人ずつ前に呼んで教えました。年上の子が年下の子に教えることもありました。
江戸時代の錦絵を見ると、子どもたちはみな同じ方向を向いているわけではありません。思い思いの向きで机に向かい、年齢もさまざまです。
何を学んだか
はじめに「いろは」でかなを覚え、次に地名や人の名前を書いた手本で漢字を学びました。それから「往来物」と呼ばれる教科書に進みます。往来物は、もとは手紙の文例集の形をとった本です。いちばんよく使われたのは『庭訓往来』でした。商人の子には『商売往来』、女の子には『女今川』など、暮らしや仕事に合わせて選ばれました。計算の入門書としては『塵劫記』が知られています。
1年は、正月の書き初めで始まりました。「席書」と呼ばれ、清書した作品を壁に貼って並べました。五節句には、師匠の家から餅やちまきなどがふるまわれました。通う年数は2〜4年が多く、1年に満たない子も、6〜7年通う子もいました。
今の暮らしの中で
各地には、教え子たちが亡くなった師匠をしのんで建てた「筆子塚」が残っています。愛知県総合教育センターの調査は、こうした塚や古文書から、尾張の寺子屋の姿をたどっています。
寺子屋のあとに生まれた明治の学校の校舎も、各地に残ります。長野県松本市の旧開智学校は、1876年に建てられた校舎で、開校のときには1,051人の子どもが学んだとされます。
よくある誤解・豆知識
江戸では「寺子屋」とあまり呼ばれませんでした。 江戸では「手習所」などの呼び名がよく使われました。
いちばん恐れられたのは、机を持って帰らされることでした。 寺子屋をやめさせられるときは、自分の机と文庫を持って帰されました。「師匠さま 机は重き とがめなり」という川柳が残っています。
そろばんの珠の数が今と違いました。 寺子屋を描いた絵のそろばんには、上に2つ、下に5つの珠があります。明治時代に上が1つの形が広まり、1935年に小学校で珠算が必ず学ぶものになったときに、今の上1つ・下4つの形になりました。
参考文献
- 東京都教育庁指導部「日本の伝統・文化に関する教育推進資料」第47号(江戸の文化を支えた寺子屋での学び)、2019年8月 https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/kyoiku/dentou_suishinsiryo047
- 愛知県総合教育センター「寺子屋師匠の教育力:愛知県海部地区の筆子塚等の調査を通して」研究紀要 第99集(平成21年度) https://apec.aichi-c.ed.jp/kenkyu/chousa/kiyo/99syuu/terakoya/terakoya.pdf
- コトバンク「寺子屋」(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・山川 日本史小辞典ほか) https://kotobank.jp/word/寺子屋
- 中野区立鷺宮図書館「鷺宮すくすく通信」第47号(展示「江戸の教育」)、2019年2月 https://library.city.tokyo-nakano.lg.jp/lib/files/sagipath201847.pdf
- 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース「旧開智学校校舎へようこそ」 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R4-00181.html
- 松本市立博物館「旧開智学校」 https://matsu-haku.com/kaichi/
最終更新:2026-10-17
このページは、世界の子どもの学びの習わしを、歴史と文化として紹介するものです。教育の方法の良し悪しを比べたり、すすめたりするものではありません。